足柄県とは
足柄県(あしがらけん)は1871年(明治4年)に相模国西部、伊豆国を管轄するために設置された県。
現在の神奈川県西部、静岡県伊豆半島、東京都伊豆諸島にあたります。
1876年(明治9年)4月18日 – 第2次府県統合により、相模国を神奈川県に、伊豆諸島を含む伊豆国を静岡県に合併。同日足柄県廃止となり、約5年間存在した県です。
足柄県制定から、今年でちょうど150年。 あしがらロケーションズ合同会社は、足柄県の成り立ちと地域的なつながりに改めて着目し、あしがら地域の活性化に寄与していきたいと考えています。
『神奈川県』…1868年(明治1)神奈川奉行所に代わって神奈川裁判所が置かれ,神奈川府,神奈川県と改称,天領などは韮山(にらやま)県に属し,翌年金沢藩は六浦(むつら)藩と改称した。71年廃藩置県をへて相模国は伊豆国とともに足柄県に,他は神奈川県に統合された。76年足柄県が廃されて旧相模国は神奈川県に編入され,93年三多摩が東京府に移管し,1912年現在の県域が確定した。…
『静岡県』…1868年(明治1)徳川宗家の移封によって,駿河全域と遠江の大部分(一部に同年堀江藩が立藩),および東三河からなる府中藩(翌年静岡藩と改称)が成立,そのため駿河の沼津,小島(おじま),田中,遠江の相良(さがら),掛川,横須賀,浜松諸藩は,安房・上総両国に移された。71年廃藩置県をへて,伊豆を管轄していた韮山県(1868成立)は相模の足柄県に編入,静岡県と堀江県は統合・分離して静岡県(駿河),浜松県(遠江)となり,東三河は額田県に編入された。76年足柄県の廃県に伴い,静岡県は伊豆を併合,さらに浜松県も併せて現在に至る。…
※「足柄県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社/世界大百科事典 第2版について
概要
1867年(慶応3年)10月14日の大政奉還の時点で、相模国西部には小田原藩、荻野山中藩、武蔵金沢藩などの藩領があり、相模国内の幕府領は伊豆国内のものとともに韮山代官所の支配下にあった。
1868年(慶応4年)6月29日、明治政府は韮山代官所に代えて韮山県を設置し、相模国、伊豆国内の旧幕府領・旗本領をその管轄とした(ただし、相模国内の旧幕府・旗本領の一部は神奈川府の管轄とされた)。
1871年(明治4年)7月14日、廃藩置県によって藩が廃止され、それぞれ小田原県、荻野山中県、六浦県となった。しかし、この段階の県域は多くの飛地を持つ従来の藩領を基本的に引き継いだものであり、極めて錯綜していた。
同年、上記錯綜への対処として、関東地方で第1次府県統合が行われ、相模国の西半と伊豆国全域をもって足柄県が設置された[1]。
ただし、相模国高座郡は、安政の五ヶ国条約による外国人の遊歩区域に含まれることから神奈川県の所属に改められ、相模川が神奈川県との境界となった。これにより、小田原県、荻野山中県、韮山県が統合され、上記区域内に分布していた六浦県などの飛地も管轄下に編入された。一方で、韮山県が従来管轄していた武蔵国内などの区域は神奈川県などの管轄下に編入された。
1876年(明治9年)、第2次府県統合により相模国が神奈川県に、伊豆諸島を含む伊豆国が静岡県に合併され、足柄県は廃止された[2]。
引用| Wikipedia:フリー百科事典より